河口湖飛行館に一式陸上攻撃機と桜花と隼をみてきた。
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実は以前山梨県に住んでいたが、存在すら知らばなかったし、ネット検索にも引っ掛からなかった。よくよく調べると河口湖飛行館にたどり着いた。

こういう博物館は、もっともっと沢山の人にしってもらいたいし、行ってもらい感じてもらいたい。

そういえば、どうでもいいことだが、以前あるダイビンググループの掲示板に戦艦陸奥のダイビングの事を投稿しようとしたら、管理人が僕の投稿を許可無しにすべて闇に葬った。
魚とって綺麗でしょっ!!いいっしょっ!!ていうダイビングももちろんいいと思う。でもこういうダイバーしかいけない考えさせられる慰霊ダイビングもあっていいんじゃないか?

事、太平洋戦争の事になると後ろ向きになり臭いものには蓋をするようにおおっぴろげにしないで隠そうとする風潮はいただけないと思う。
口では戦争反対と声高らかにいっても、闇を知らずして戦争のない幸せのベクトルは理解できないとおもう。

一式陸上攻撃機とは?
1941~1945、太平洋戦争時に作られた双発の傑作機。
2,400機もの一式陸上攻撃機が生産された。
ソロモン諸島ブインで連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将が戦死した際の乗機としてもよく知られる。復元・現存の機体は世界で唯一この河口湖飛行館の展示機だけだ。























人間ロケット桜花とは?
戦争末期の1945年より実戦投入された桜花は、一撃で大型艦も撃沈可能な1,200kgの爆弾を先端に積んだ、特攻専用の自爆機です。
母機となる一式陸上攻撃機に吊され、目標付近で分離、敵艦へ体当たりを行った。







隼とは?
一式戦闘機(ハヤブサ)2型 
旧日本陸軍、飛行第77戦隊で運用された2型。
この機体は1944年、ニューギニアで米軍に捕獲され、性能調査試験が実施された有名な機体です。
米軍は試験により、ハヤブサは操縦が容易で、いかなる連合軍機よりも旋回性能が勝ると評価された。


一式戦闘機(ハヤブサ)1型
上昇力や加速力では、ゼロ戦を上回る性能を持つ旧日本陸軍の主力戦闘機。
日本で唯一、現存するこの機体には、南方作戦の成功に大きく貢献した、飛行第64戦隊長「加藤建夫少佐」乗機の塗装・マーキングが施されている。









・零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型 
ゼロ戦21型は日本海軍の艦上戦闘機として昭和15年から昭和19年の間に三菱と中島飛行機で合せて約3,500機が製造されました。
この21型は空母へ搭載する為に主翼の両端を50cmずつ折り畳める機構や着艦フックを装備しているのが特徴。







中島飛行機製940馬力の「栄12型」エンジンを搭載し、最高速度は530km/hに達した。航続可能距離2,500kmという他国の戦闘機と比べてとても長い飛行距離に加えて極限にまで軽量化された事で高い運動性を発揮し「ゼロ戦」の名を世界中に知らしめた。











・零式艦上戦闘機(ゼロ戦)52型 
21型との違いは翼端の折り畳み機構を無くした事で全幅を11mに短縮。21型に搭載されていた940馬力の「栄12型」エンジンよりも強力な1,130馬力の「栄21型」エンジンを搭載した事で機首のエンジンカウリングが大型化しています。
エンジン大型化で重量は増加しましたが、栄21型エンジンと、機首輪の推力式単排気管の効力で、摩擦抵抗が減り、最高速度は30km/hも増加しています。


9月に根府川にダイビングにいった。

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海に沈んだ旧根府川駅プラットホームや
山手80番館遺跡や二代目横浜駅や旧相模川橋脚など今も残る関東大震災関連の遺構を写真や動画をまとめ映像にしてみました。ご覧くださると嬉しいです。



まずは根府川沖に関東大震災によって沈んだ根府川プラットホームから…
うねりがあり遺構まで結構な距離もあったり、うねった海中で岩にぶつけないようにデジカメを抱えて守りながら潜水移動し、プラットホームの写真とるのを夢中になり、1本目はなんとタンクの酸素残数0になった、最後は自己判断で浮上しうねりと波がある海上をシュノーケルを口に加えて戻ってきた。
おいおい、仮にも自分はダイブマスターライセンスホルダーで初心者じゃないんだがら…なにやってんのか💢



お世話になった根府川ダイビングサービス。
根府川の浜




レール発見!!
レール↑
↑レールは2本平行に並んでいた
プラットホームの1部分↑
プラットホームの1部
階段付きプラットホーム↓







階段付きプラットホーム↑
1番プラットホーム↓


1番プラットホーム↑
↓手間が1番プラットホームで奥が2番プラットホーム
2番プラットホーム↓





2番プラットホーム↑






ダイビングなどのアウトドア活動を通じて風化しそうな悲しい記憶をたどって知ってもらうという事…それも自分の必修科目なのかもしれないです。



・旧根府川駅プラットホーム
大正関東大地震が引き起こした根府川駅列車転落事故で海中に没してしまった。

根府川駅列車転落事故は、1923年9月1日に発生した列車脱線事故。 小田原市の根府川駅付近で、東京発真鶴行普通第109列車(960形蒸気機関車、ボギー客車8両)が、根府川駅のホームに入線しかけたところで大正関東地震によって引き起こされた地滑りによる土石流によって、根府川駅の駅舎やホームなどの構造物もろとも海側に脱線転覆して最後部の客車2両を残して全てが海中に沈んでしまった。
 列車の乗員乗客と根府川駅にいた乗客及び駅勤務職員のうち、112人が死亡、13人が負傷した。 この事故で助かったのは、海岸に這い上がることのできた約30名と、たまたま海上を通りかかった発動機船によって助け上げられた13名だけだった
この列車転落事故で発見された遺体はわずか5体にすぎなかったという。大正関東地震によって引き起こされた列車事故のうち、最悪の事故である。

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ある出版社から本を出すことになりました。(自費出版ではなく念願の商業出版での書籍化決定です。)随分と遠回りしたがようやく自分のやってきた事が公の場で形になった。
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小学校の時壮絶ないじめに遭い、その後の人生も落ちこぼれ、これと行った趣味も特技ももたず、只時に身を任せ流れるままにいたずらに時を過ごした。37才の時突然の体調不良の末に下血し、入院した。
退院後、何をやっても人並み以下で落ちこぼれた情けない自分をかえる為、遠くに置き忘れた誇りを取り返す為に、心機一転会社を退職し、人生の忘れ物を探す旅に出た。
そんな誰からも相手にされず、やさぐれて世間に背を向けて生きていた自分がまさかのまさかの本を出版なんて…

遠くに置き忘れた自分の誇りを取り戻しに行くと決めてからというもの、どんなに馬鹿にされて相手にされなくても、溢れた涙や汗がいつか実を結び嬉し涙になると信じて前に進んだ。
そして、1適の雨がやがて大きな石をも動かす大きな大河になるように、自分の目標への1歩1歩の積み上げが大きなうねりなると信じて、もがきながら前進した。そのためにはいかなる犠牲もいとわなかった。

何かを得るためには、何か手放さなきゃならない。手放したものが大きいほど、その思いは強くなる。決して人様に胸をはって語れるような事は一切なしていないし、輝かしい功績などは一切ないが、自分なりに沢山の犠牲を払い退路を絶ち誰に何を言われようと、強い意識を持って自分を信じて腐らずやってきた。

そんな私の生き様が人様の記憶に残り、影響を与え、皆様を大なり小なり勇気づけ励まし元気づけ背中を押すことができるのであれば、これ以上嬉しいことはない。
もし、そうなれば何の見返りもなしにたった一人で全くの素人が、貯金ゼロ、才能ゼロ、経験ゼロのトリプルゼロの状態からすべてを計画し貯金し準備し、お金と労力と時間をかけてまで遠き異国に赴き命をかけてまで行き、苦労してやった甲斐があったというものだし、一人でも多くの読者様に元気や笑顔を届ける事が、僕のこの世にいるたった一つの存在意義だとも思っている。

本は、生まれながらの超人が超人的な才能や能力をもってして大成功を収める華麗なサクセスストーリーではなく、元いじめられっこの落ちこぼれのどこにでもいるごく一般の運動音痴なヘボなおっさんが、心機一転しへこたれずコネコネになりながら泥臭く自分の人生の目標を1つ1つ叶える続ける物語だ。

言うなれば華麗なサクセス爽快ストーリーならぬ加齢臭的サクセスヘアートニック級爽快ストーリーだ。

何を始めるのにも才能も歳も関係ない。人間の魅力とはステータスや地位などではなく、その人の生き様だ。
どんなに倒されてもとも踏まれてもようとも雑草のように立ち上がり、命をかけてチャレンジを遂行する生き様に、希望や明るい未来を感じてもらいたい。

『なんだーこんな何も取り柄のないおっさんでもできたんだ。自分もできるんじゃないか!?やってみようと…今一度、踏んばって頑張ろうと…』そんな気持ちになって欲しいですし、コロナやネガティブな話題が多い今の世の中、生きずらさを感じている方々や生き詰まりを感じている方々に元気になってポジティブになって欲しいですし、希望や勇気を持ってもらいたい。

悪天候や夜間の飛行機や濃霧で航路を見失った船舶が滑走路の誘導灯や灯台の光を頼りに着陸や着岸するように、私のような自信や目標を見失っている方々の誘導灯的存在な本にしたい。

本が発売したら、時期もあわせて出版記念講演会を大々的にやりまっせ➰😃酒のみまっせー➰😃

という事でこうご期待ください。




















デナリ山頂直下でノーテントノースリーピングバックで立ったままビバークし負傷した。
このあとすぐこ5671mのダマバンドの山頂からスキー滑降した

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