2014年07月

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エルブルースに向かけて最後の補強をした。90リットル バックパックと富士山での高度順化の際不注意からカメラが壊わしてしまったので新しいカメラを、、、といってもヤフオクで4500円の激安カメラであるが購入した。
90リットル バックパックは各社一通りみたのだが、値段がべらぼうに高い。色々迷ったが結局一番安いものにした。(それでも19800円する。高い、、高すぎる。50年前なら家が一軒まるまる買えてしまうではないか!?【笑】)90リットルバッタパック は今後の冒険にもきっと役に立つとおもうので、先行投資と思えば安いと感じた。

マイ登山装備に関しては、
アイゼンとピッケルとインナーフリースとクライミングパンツ以外ほとんどバッタものに近いものがあるぼくの登山道具ではあるが、今までのこのメンバーで十分にやっていけたので、今回も特別な補強なしでこのメンバーでやる!!
このメンバーを十分信頼してスタメン発表ができる。

一番ライト 980円ワークマンオリジナルアンダーウェア!!!!

2番セカンド 上下セットで合計2万円のスノーウェア!!!!

3番ファースト 店員さんいわく厳冬期もおそらく大丈夫とおっしゃり倉庫に行き持ってきた埃かぶった状態でできた売れ残りの無名メーカーの3万円の雪山登山靴!!!
おそらくって、、、(笑)

4番レフト ワークマンオリジナル滑り止め付きグローブ
などなど

どんなことも技術ウンチクや道具ウンチクや装備なんかどうでもよく二の次で、一番大切なのは本人の強き志への思いであり、ある程度の初級的レベルのことなら当人の根性と気合でなんとかなる。僕は色々なスポーツでそれを身をていして実践してきた。今回のエルブルースでもそれを証明する。
その前に現地入りしロシア人ガイドから装備チェックの際、駄目出しがでないかが心配であるが、、、

8月1日
成田からモスクワを経由し深夜に現地空港に入り、翌日ロシア人ガイドと合流。彼らとエルブ ルース山麓に向かう。

ウクライナ情勢が悪化の一途をたどる今、渡航延期勧告がでている地区への渡航、はじめての海外登山遠征とはじめての5000メートル級の雪山。そして、(僕の)つたない英語での日本人僕一人での5000メートル級雪山登山活動になり完全アウェイの前途多難の状況での挑戦だ。
今までやった僕の浅い山歴のなかでハードで孤独を感じたルートは、冬季白根山単独登攀や剱岳別山尾根ルート経由単独BCが思い浮かぶのだが、その単独行とはどこか違う今まで味わったことのないとても強いプレッシャーを感じている。

日本人専用のツアーに参加し成田から日本人ガイドつけてエルブルースに登ればどんなに簡単で楽なことだろうか!?多少のお金を払ってでも日本人ガイド付きツアーにすれば良かったと今更後悔しているもう一人の自分がいる。

がしかし、この状況を踏ん張り無事クリアする事により、さらなる高みにたどり着くことができると信じている。
次の冒険はおそらくもっともっと過酷な冒険になるとおもうので、ここで免疫力や抵抗力をつけておくという意味でいい機会と考える。

とにかく無事に登頂し、帰国し皆様にいいご報告が出来ればとの思いです。

僕は単独でのロシア入りですが、僕の横にはいつも皆様が見守って下さっている。とても心強い思いです。

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写真上)吉田須走口山頂にて
全然いいけど、も~ゆびが入ってますよー(笑)
写真下)嘘のように天気が回復になった。


多少の無理をしてもやって良かった、エルブルース向けていい準備をする事ができた。

ご閲覧ありがとうございました。

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御殿場から出発し14時間かけながらも、なんとかかろうじて山頂にたどり着いた。

ご来光は視界が悪くほとんど見れなかったが、運よく数秒ながらなんとか見ることができた。

ご来光後は、剣が峰にもたちよりその後の時間はエルブルース遠征の高度順化に思う存分(10時間以上)あてた。

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8,5合目をすぎてから霧も濃くなり
小雨も振り出す。
急に霧が立ち込め視界も悪くなり、気温もさがり吐く息も真白い。
完全にホワイトアウトになってしまい、何度も足元の石につまづきその度につんのめった。

風も強くなりもうジャンルは富士山夏登山という生易しいものではなくなり、積雪期の登山に近かった。

神はドMの私に最後の最後に大きなプレゼントをお与え下さった。ありがたや~ありがたや~。

周りは日本人登山者(おそらく山小屋待機またはコンディションの好転待ち)は見かけなくなり、変わって西欧系の登山者が大多数占めていた。
しかし、西欧系の方のポテンシャルはすごいものがある。
こんなコンディションのなかでジーパンで登っているものや素手で登っている。しかも、ペースも早い。普段あまり後続に抜かれない僕であるが、何人もみごとにまくられまくった。
すごいペースだった。僕はだだただ鼻水をたらしながらジーパンや素手で闘牛ように突進してくる西欧系登山者を闘牛士のようによけては呆気にとられて見つめていた。鼻水をたらしながら。
(僕は、山頂では雨と汗で服を濡らしてしまい寒くてぶるぶる震えていたが、その横でいびきをかいてねていたり、ゲームをしたりしていた。)

写真下)山頂は雨もふり風が強い。おまけにとても寒かった。

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当然あざみラインで全ての体力を使い果たした僕は、この後の富士登山では落ち武者狩りから逃れようと必死に逃げる敗走兵のようにフラフラした足どりで富士山山頂に向かった。登頂を目標というより山頂にたどりつけば休める、早く横になって休みたいという一心で登った。

焦点も合わないような怪しい目つきで、
「あざみラインが!!!
あざみラインが!!!
あざみラインが!!!」
とフラフラしブツブツつぶやきながら歩く。

写真)須走口ルートから

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