カテゴリ: 自転車&ラン&スイムの挑戦

神流湖カヌー行の途中で世界遺産の富岡製紙場にも立ち寄った。
そこそこ楽しめたのが、傍観のみの見学の建物が多く、入館し見学できる箇所は少なかったのでもう少し入って見れる箇所を増やしてもらえるとグットな感じがした。
あと、館内は飲食禁止らしくベンチ沢山はあれどもゆっくりと建物を見ながら間食できない。
ベンチあれども食べる事ができない。しかも自販機も食事する所もない。持って行ったものベンチで黙って食べちゃおうかと思っても異常に多い係員がうろうろしていてその目がある。
僕は、ここのベンチで食べるために食料を沢山持ち込み空腹で行った。ベンチで食べたいが食べれない状態で喉が渇き空腹状態で世界遺産を見るという経験をした。
それは、まるでSMクラブの追加オプションの店外焦らし放置プレー並みのエクスタシーを感じた。

一見の価値はあるが富岡製紙所の一ヶ所だけで1日使うのは少し物足く感じるのではないかといった感想だった。

 本来僕のブログは、ギャグなくしては僕のブログではないと感じているのだが、最近の僕は真面目なカッコつけの感じのコメントが続いたので、少しお下劣気味で攻めました。笑っていただけましたか?
ではよい1日を😆

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実は玉淀湖でカヌーを予定していたのだが、どこも下ろせる場所がなくカヌーショップならということで向かったが出廷料金駐車料金込1500円ということだった。なぜにおろすだけで1500円なのかという事で即効却下。日本てなんでもお金を取ろうとする。何もわからない初心者からガンガン買わせてお金を使わせる。お金をつかわない個性的な初心者にガイドやイントラがガチで削りにくる。冷遇する。
まあ、僕はお前らごときに負けるかペチャンコにされてたまるかって気持ちが凄く強く今ままでやってきましたが、気持ちが弱い人はそこでやめてしまうと思う。なので、アウトドア人口も根付かず増えない。
こういうのがカナダやニュージーなどのアウトドア大国との差でありアウトドアスポーツの発展を妨げる要因かと、、

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話はその後の富岡製糸場観光にきり変える。観光料金1000円。玉淀より500円も得。しかも楽しかった。
自転車も持っていったので駐車場から乗って行く。

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いや~街はゴールデンウィークなのに僕は、働きアリや働き蜂のように働きづくめだ。6連続勤務位からいったい最後に休みを取ったのはいつなのか、今何曜日なのかわらなくなってくる。
貧乏暇なしとはよく言ったもので、もし万が一、転職活動するような事があるならば履歴書の特技欄に迷いなく「貧乏」と書こう。
が、いい副作用もあり、仕事以外には外出しないので、お金を使う機会めっきり減って貯金が増えていい。

イラン遠征まで1ヶ月を切った。
このゴールデンウィークみっちり入った仕事を無事に乗りきり、GW明けに富士山に入り自分を追い込み体を絞りイランに向かいたい。


そして最後にご報告です。
まあ報告と言うような大袈裟な事ではないのですが、イランから帰ってきてから久しぶりに遠泳大会(10キロ)に参加しようと考えています。

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(⬆今回参加予定の遠泳大会HPから抜粋)

今後マッキンリーなどのやりたい遠征が一段落しお金にも余裕ができたら将来的にサハラマラソン(⬅安ければ今すぐにでも参加したいが、エントリー費用がべらぼうに高いんです。)やゴビマラソンにも参加しようと考えているので、今回この機会を逃さずマラソンなどの体力系レースにも参加費が安いレースを優先的に選び(笑)少しづつですが徐々に参加していきたい。

遠泳大会は僕自身トライアスロンやアクアスロンを含めこの大会で4回目で、強烈なのは御宿のサーフポイントでの3キロ遠泳がある。

はじめて体力系レースに参加したこの大会は正直精神的にきつく、日本屈指(御宿)のサーフポイントでの開催で波の高さやうねり半端ではなく、息継ぎの度海水を飲んだ。

右も左もわからず状態でいきなり三キロの外洋の海での3キロの大会に参加してしまい、前日ひとりで泊まった民宿の窓際に激しく波立つ御宿の浜をみて、参加した事に後悔を覚えた。
ひとりで参加する孤独にさいなまれ、遠泳初体験で海で長い間泳いだ経験0で本当に大丈夫なのか、3キロの長丁場の途中で溺れたらどうしよう、高い参加費を払いいったいなんのためにこんなきつい事をしなくてはいけないのだろうという不安や後悔に襲われあまり睡眠を取ることができなかった。

そして、当日いざ集合してみると、参加者は、ほとんどチームなどで参加し遠泳経験者の猛者ばかりだったのでさらに不安と孤独が増大し緊張すナーバスにもなった。

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(⬆猛者達。ほとんどがチーム参加でエブリディ泳いでますって感じの方々ばかりだった。)

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(⬆大会中、ライフセーバーの方々も出動し沖で待機。)

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水温は例年より低いとの情報も事前に聞いていたのですが、何も考えないでウエットスーツを着ないで張り切って海パン1枚で、参加してしまった。
(あとで聞いた話ですが、長距離の遠泳では、水温がかなり低い場合は、基本ウエットスーツ着用で参加するのがセオリーとのこと。今考えると、ほとんどの人はウエットスーツを着ていた。)
案の定1時間以上ずっと冷たい海水の中で泳いでいた為に体温がかなり下がってしまい、足がつりやすくなってしまい何度も足がつりそのつど水中でのストレッチでごまかしなんとかゴールまでたどり着く事ができた。
ゴール後どうやら完全に低体温症になってしまったようで、歩く事や立ち上がる事もできなくなってしまい、亀の甲羅干しのように1時間くらいビーチで歯をガチガチならし横になっていた(笑)

しかし、終わってみるとその後悔や不安や孤独がまるでウソのように爽やかな晴れやかな気持ちになった。

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(⬆御宿の浜辺にて)
この気持ちが嬉しくて、この日を境に僕の貧乏生活の挑戦人生がはじまった。

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(⬆記憶が正しければ、江戸時代に日本近郊で嵐にあい制御不能になり御宿に座礁したメキシコ船の船乗り達を御宿の漁師さんたちが命を顧みず助けた勇姿を称え御宿が一望できる高台に建てられた記念碑だとか、、)

(トライアスロンやアクアスロンなどのプール使用以外の)海などの天然物をしようした遠泳は足がつったりスイムが遅かったりと醜態をさらした後味悪い思い出しかないので今回はカッコよくバシッと決めたい。雪のダマバンドから帰ったらすぐに水泳トレーニングをはじめよう。

以上ご報告でした。ご閲覧ありがとうございました。


では、よいGwをお過ごしくださいね!

日本のエアーズロックと呼ばれる知る人ぞ知る和歌山県古座の一枚岩から出廷。
傍観よし空気よしと気分が良かった。

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↑日本のエアーズロックと呼ばれる和歌山の一枚岩

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瀬には隠れ岩があったが水速が遅く、発見してからでも対処でき、シューティングゲームのように避けながら通過した。

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古座川は水量が少なく水底には多数の岩があり、何度も隠れ岩にぶつかり水底にこすりながら進む。

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全体的に流速は遅く
ゆったりとしていたが推進力はあるのでこがなくても進んだ。
水質は、熊野川同様よく透明度はたかい
古座川は、釣り人が多く川幅も狭いのでトラブルを避けるため何度もホーテージした。

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↑ポーテージする

瀬のほとんどが水底が浅く岩を引っかけそうで怖かったが前半は何とか無事に通行できた。
後半は更に水量が少なくなり、途中で停まってしまう瀬もおおくあり、半分以上の瀬をカヤックから降りポーテージしようやくゴールにただりついた。

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自転車に乗り換え元いた15キロ上流の道の駅一枚岩へ帰還した。

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最後の4キロくらいは流れがほぼなくなりこぐはめになったが、前半に体力を温存できたので前日とはちがい余力を残して自転車にのりもといた道の駅にゴールできた。


日米通算と同じで通算は認めないと、頑固な自転車おやじやカヤックおやじに言われそうだが、2日の通算総合距離約75キロ
(カヤック約45キロ。自転車ヒルクライム約35キロ)。
僕にとって野宿を挟み初の2日間というロングランになったがユーコン川に向けて貴重な経験ができた。

ユーコン川では雨天時や強風時以外は一日50キロを目安に進もうと考えていていいイメージがついた。


よーし。
ユーコン川800キロカヌー単独。どんな困難にぶち当たろうともこのトレーニングを思い出し、乗り切る。

「そうです。そうなんです。やるんです。皆様の応援やサポートがあれば、一人でもできるんです。はい。」

しまって行こー⤵❗おおぉー⤴😄

とその前に2日目まとめと
古座川カヤックと和歌山観光をおおくりします。

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水の色はエメラルドグリーン。

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⬇飯にする。

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↑買い出しの時
何と僕がいつも愛飲していたミラクルボディVのボトルタイプをみつけた。
迷わずすかさず買い物かごに入れた。

A大の学生ではないのですが、見つけた時嬉しくて堪らなく躍りだしたくなる自分を抑えた(笑)

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↑熊野大橋あと少し行くと海に出る。

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↑カヤック行程のゴール

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↑自転車に乗り換える。まるでトライアスロンだった。
⬇道路側から熊野川をみる。やりきった満足感があった。ユーコンでこんな気持ちを再度味わいたい。
もちろんヒッチハイクのクルマの中で、、

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道の駅熊野川到着

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↑カヌー行約16キロ

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↑自転車行程約15キロ



自転車とカヤックを使って熊野川を一周した。カヤックからみる熊野川、自転車からみる熊野川どの表情もとても魅力的で一瞬で僕は恋に落ちた。

地元の方もとても親切で感じがよく話していて気持ちがいい。
また必ずや近い将来、地元の皆様や上流の猫ちゃんに会いに熊野川に行きたい。

それまでみんなお元気で❗

松陰に関するエピソードはつきない。僕が知っている感動的なエピソードをいくつかここで紹介したい。

萩の野山獄に投獄された松陰は、日々読書や勉学にあけくれる。
野山獄は入ったら最後の終身刑の獄。終身刑の判決を受けた囚人達の心は荒み、雰囲気は最悪だったという。

彼らはそんな松陰の姿をみては、一生出られる見込みがないのに今さら勉学とは、めでたいやつだと口々に言い、勉学に励む松陰を囚人達は冷ややかなめで松陰をみていたが、

松陰は胸を張ってこういう
「もし万が一ここを出られることがあったらどうするのだ!!私は、与えられた環境を受け入れ、今自分にできる精一杯の事をするのみだ。」

決して諦めない気持ちを貫き勉学に励む松陰に、心がすさみ荒れた囚人たちもいつしか心を開き、将来の希望さえもつようになる 。暗くすさみ切った野山獄の雰囲気は明るく一変したという。


そして、幕末という動乱をいかにいきるべきか死の一年前。
弟子に向け一篇の詞を送っている。
「志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない。
世俗の意見に惑わされてもいけない。
死んだ後の業苦を思い煩うな。
目先の安楽は一時しのぎと知れ。
百年の時は一瞬に過ぎない。
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように。」

さらに、斬首の刑の執行前、自分の教え子達に送った言葉が残っている。
「今日、私が死を覚悟して平穏な心境でいられるのは、春夏秋冬の四季の循環について悟るところあるからである。つまり、農事では春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れる。未だかって、この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるのを私は聞いたことがない。
私は現在三十歳。いまだ事を成就させることなく死のうとしている。農事に例えれば未だ実らず収穫せぬままに似ているから、そういう意味では生を惜しむべきなのかもしれない。だが、私自身についていえば、私なりの花が咲き実りを迎えたときなのだと思う。そう考えると必ずしも悲しむことではない。なぜなら、人の寿命はそれぞれ違い定まりがない。農事は四季を巡って営まれるが、人の寿命はそのようなものではないのだ。
しかしながら、人にはそれぞれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには十歳の中に自ずからの四季がある。二十歳には二十歳の四季が、三十歳には三十歳の四季がある。五十歳には五十歳の、百歳には百歳の四季がある。十歳をもって短いというのは、夏蝉(せみ)のはかなき命を長寿の霊木の如く命を長らせようと願うのに等しい。百歳をもって長いというのも長寿の霊椿を蝉の如く短命にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
 私は三十歳、四季はすでに備わっているとすべきであろう。私なりの花を咲かせ実をつけているはずである。それが単なる籾殻(もみがら)なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私がささやかながら尽くした志に思いを馳せ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それは即ち種子が絶えずに穀物の年々の実りと同じで、私の命が生き続けていることになる。同志諸君よ、この辺りのことをよく考えて欲しい。」

その後、松陰の教え子達は、松陰の志を受け継ぐように、新政府の中核に名を連ね、日本の近代化に尽力を注ぐのである。
松陰先生の言葉は時代を超えて、志ある熱きものの心をゆさぶる。
志あるものにとって、先生の言葉は何物や何人にも変えられない程の支えになり、心に響き突き動かされる。
私自身も吉田松陰の言葉に幾度なく心救われた。タクラマカン砂漠自転車縦断でも辛く心折れそうになった時、松陰先生の言葉を思い出し走り続けようと思う。
御閲覧ありがとうございました。

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このような粗末な作りの牢獄に投獄され、荷物を運ぶようなかごで江戸まで送られた。

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最後に

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道の駅で太陽神松岡修造のサインを発見。どおりでこの数日間天気予報では雨なのだが、一切雨は降らなかったわけだぁー(笑)

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