カテゴリ: 雪山&バックカントリー

みんな~たった今アラスカから日本に帰国した。(エクストラチャージ払って便を変更しての帰国。)

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北極圏6000mのビバークの体への影響は甚大で、足の指は、カマキリの卵のように腫れ上がり、手の指は土星の環のようになっている。(明日凍傷の専門医に行って切断or非切断の相談に行ってくる。)

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もちろん痛み止めを飲んでいるのだけど、歩くのも痛いので辛く体はしんどいが、なぜだか心は晴れやかで誇らしい。
例え指を切断することになったとしても、一切の後悔はなく、デナリへの感謝や畏敬の念は変わらない。
嘘偽りなく本当に、指を切断してもデナリをやって良かった。やらずに後悔するより百倍いや千倍まし。無事に志を遂げる事が出来き、もう何も言うことはない。赤穂浪士の47志士の最後の気持ちが、今ならよくわかる。

貧乏以外何の取り柄のない、何でもないイチおっさんが、皆様の支えでデナリ山頂から単身スキー滑降した。
その事実が皆様を勇気づけ、元気づけ今度は、皆様の背中を押すことができれば、どんなに嬉しいことか....犠牲を払い遂行した僕自身がどんなに救われることか....

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アメリカの詩人がこういったそうだ。
 「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」
【サミュエル・ウルマンの「青春の詩」】
僕は、今年46歳だ。白髪が増え、風貌はすっかりおっさんになり、体力の衰えを感じはじめている。
ただ情熱は年々衰えるどころか、20代のように燃え上がるばかりだ。
今も青春真っ只中、僕の青春はこれからもまだまだずっと続く。
明日からは次の目標に向かって頑張るぞ⤴お~⤵😁

皆様からのコメント、凄く嬉しかったです。リコメしよう思ったのですが、時間がなくそのままにしてしまいすみませんでした。家に帰りじっくり読ませて頂き、リコメさせて頂きます。
応援コメント本当にありがとうございました。

デナリ遠征のスキー装備チェックを兼ねて栂池スキー場ゴンドラ山頂駅から白馬乗鞍岳に登った。
前回スノーボードで同じコースをやったのだが、その時は登山届けは専用のポストにいれるだけで良かった。
乗鞍岳で事故が続いたのが原因(1ヵ月前にも雪崩でスキーヤーがなくなっている。)なのか、登山届けを係員に直接提出しなくて駄目で、ルートや持ち物など結構色々と確認される。事故られると彼らは率先して救助にあたらなくてはならないので、多少厳しく管理するのは仕方ないのが、(栂池スキー場のゴンドラ山頂駅から乗鞍岳登山ルートのスタート地点の移動に)別途料金の1900円のロープウェーを使わないと急に機嫌が悪くなるのは勘弁だった。使いたいのは山々だが貧乏人にとって1900円は死活問題なので、連日断り続けた。

1日目は強風で天狗原で撤退(風速20メートル以上はあったと思う。)。2日目は降雪吹雪でゴンドラ山頂駅(スタート地点)で気持ちが折れて撤退。3日目ようやく3回目の正直でピークを踏めた。
しかし、前回のスノーボードBCの時より辛く感じたのは気のせいか...前日そこそこの降雪積雪があり、この時期には珍しくパウダーを楽しめた。
この季節の降雪後に一人で急斜面にスキーで入るのは怖かったが、アバランチテストをされている方がいたので迷わず聞き(結果大丈夫そう。)それでも少し不安があったので、目の前にスキーヤーがいたので、GSPを確認してるふりして時間を稼ぎあえて先に行ってもらった(笑)

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阿倍雅龍さんの南極点単独到達報告会に参加した。
普段、自分の甘さや糞さを猛反省する為に冒険家や登山家の本やブログやFacebookを拝見している。

実は阿倍さんが有名になる前の10年位前から、そのご活動をブログにて拝見していた。
阿倍さんの純粋な姿勢やストイックさはすごく勉強になったし、ジャンルを越えて力や勇気みたいなものを沢山頂けた。

講演会が植村冒険館の近くでの開催ということで、これはセットにして絶対に行くしかないかと..
阿倍さんのお話は、冒険にも興味ない方にも分かりやすく説明されていて、どんどん引き込まれていく内容だったし、多くの方が阿倍さんの純粋なひた向きさに心打たれ、そのお人柄で参加者すべての人の心を掴み魅了した。

飛行機でベースキャンプまで空輸してもらう。ウンコは持ち帰る。単独の場合は審査がある。スキーを履き橇を引いての活動。風が強い。ヒドゥンクレバスが多々ある事..
阿倍さんがやった事に比べると、僕のデナリスキー遠征なんて糞あまっちょろい遠征になるが共通点が多々あり、とても参考になり刺激にもなった。僕も阿倍さんのように絶対に僕もやる、僕の中の南極点に必ず立つんだって...

講演会の2時間はあっというま過ぎてしまった。とても楽しい時間だった。元気はもちろん沢山の勇気もチャージできた。
10年前から阿倍さんの事を知っていたが、こちらの一方的なストーキング(ブログ閲覧)だったので面識は全くないですが、今回お初にお目にかかれて本当に良かった。と言ってもスゲー遠くからの傍観のみだけど...
阿倍さん本当にありがとうございました。

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南極点到達の写真

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装備もみることができた。自分が使っているポールより遥かに軽くてビックリした。シマノの阿倍さんオリジナルとのこと。

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植村冒険館に行き植村さんが冬季マッキンリー単独登山に使った装備を見に行った。

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僕は、植村さんの本は全部読み、植村冒険館や植村直己記念館にも行き、植村さんのサインを部屋に掲げているくらいの植村さの魅力に取りつかれた一人だが、今日は、植村さんのマッキンリー遭難当時置かれれいた状況について書こうかと..

昭和53年 37歳
北極点単独犬ゾリ到達【世界初】
グリーンランド3000匳鎮如收こ初】
昭和55年 39歳
冬季エベレスト遠征(隊員の死亡事故により登頂断念)
昭和57年 41歳
南極大陸へ(単独横断を計画するがフォークランド紛争のため断念)
昭和58年 42歳
ミネソタの野外学校でアシスタントインストラクターとして参加
昭和59年 43歳
冬季マッキンリー単独登頂【世界初】
登頂成功を伝える無線交信を最後に消息を絶つ 。

当時42歳だった植村さんは4年間位目立った実践が残せていなかった。しかも、長年の夢の南極最高峰ビンソンマシフ登頂&犬ゾリ南極横断が、自身ではどうする事もできない外的要因であるアルゼンチン軍のフォークランド紛争勃発により中止せざる追えない状況に追いこまれる。

世界初の北極点単独犬ゾリ到達を達成した
37歳の頃より、体力面で徐々ではあるが、劣化を感じはじめ、焦りから普段冷静な植村さんの判断力を鈍らせたのかなって...
(結構悪天候下でもガンガン前に進み、強引に山頂に向かっていた。)
植村さんの日記を読むと冬期マッキンリー単独登山は、夏期とは比べ物にならない位の積雪量によるラッセルや低温の雪洞での生活は相当大変だったようだ...
悪天候下雪洞をつくり、完成後少し離れた荷物をとりに行った際に、作った雪洞を見失い遭難しそうになった事も日記に書いてあった。
装備ウエアは汗でパリパリに凍り、顔頬も凍傷ぎみになる中、ヘッドランプやロウソクも節約の為制限をかけていたようで、食事面では燃料節約の為に持ち込んだアザラシの肉は完全に溶かさないで食べていたようだ。植村さん自身も、想像をはるかに越えた世界だったが経験値があるので冷静対応できるとも書いてあった。
ただ、そんな困難を極める登山でも日記の最後の方のページには、マッキンリー登山では充実感を感じ、喜びさえ覚えると書いてあり、植村ファンとしてはそこだけは少し救われた思いになった。
今年デナリ遠征では、植村さんと同じ場所(デナリ山頂)に立ち、植村さん見たであろう景色を味わい、僕なりにささやかな苦難の中でもがき這い上がり、充実感や喜びを感じたいという気持ちが強くなった。

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⬆山頂に残された旗

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⬆スリーピングバック。
軽量化のためあえて薄めものを持って行ったそうだ。こんなもので冬期のデナリで雪洞泊って凄すぎる。僕は夏場でも絶対に無理です。

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⬆-50度でも使えるストーブ

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⬆そり

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⬆雪洞で見つかった植村さんの日記。
最後のページには
「なにがなんでもマッキンリー登るぞー」と書いてあった。

デナリスキー滑降後の次なる目標は、ずばり6000峰スノーボード滑降。当然その後は、スキー&スノーボード7000峰滑降も狙っている。
5000峰(完結)、6000峰、7000峰をスキースノーボード二刀流滑降するのが僕の今の目標かつ必修科目だと思っていて、その先に見据える8000峰滑降が卒論的位置付けであり、その完結の為に頑張っている。
ただ、今段階の実力はというとでは卒業はおろか留年ギリギリの成績であり、カンニングでもしない限り「6000峰デナリスキー滑降論」の単位さえ危ういかもしれない(笑)

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【⬆ダマバンド(5671m)・アラムクー山(4850m)にて】

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スキーは背負ってもハイクアップしても、風の影響はさほど感じないが、強風下のスノーボードを背負ってのハイクは吐きそうになるくらい辛い。いやもうすでにダマバンドボード滑走後、へたりこみ練習でしごかれた名門野球部の野球部員のように吐きまった。
バックパックにくくりつけたスノーボードがウインドサーフィンの帆のように風を拾い、抵抗をモロに受ける。
突風なんて受けると、体を持っていかる。メンコのように軽々とふっとばされる事さえある。

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【⬆ダマバンド(5671m)にて】

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強風下高所下で、スノーボードが拾う風抵抗を受けて登るのは、SMクラブのオプション、聖水、マザコンプレイ、首輪、手枷を同時につけた、いや失礼....
例えるなら、プールの中をボードを背負って歩く感覚に近く、朝の通勤ラッシュ時の山の手の車内を先頭車両から後方車両までトラバース往復ずっとするような感じだ。そのくらい大変だし、持久戦体力戦になる。これだと高所になればなるほど辛くなり、ボードがある為に泣く泣く撤退という可能性さえある。
なので、ここいらで、ボードの中心から真っ二つに分離可能で、風の抵抗が少ない軽量スプリットボード購入を検討している。

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【⬆スプリットボード真ん中から切り離せて、山岳スキーのように履いて登る事も出来る。背負っても空気抵抗も少ない。】
ただ、山岳スキーほどではないのだが、高いし専用のブーツとビンディングが必要となり15万円越えもにもなる。はたして、投資分の恩恵をしっかりと受けることができるのか?DBのヤムチャや南斗水鳥拳のレイやしょくぱんまんや出木杉君のような中途半端な立ち位置的クウォリティーなのか?(笑)
果して大金をかけるほどの価値があるのか?滑走面での安定性はどうだろうか?
日本ではあまりスプリットボードで滑走している人がいないし、まして、海外の山でバックカントリー登山されて方の絶対数が少ないので、情報を得ようにも得られない。大枚をはたいて僕が代表してやるしかないのか...
ウ~ンここは思案のしどころじゃの~。

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